特別連載 日本語教科書活用講座⑤ / 「教科書【を】」ではなく「教科書【で】」教えるための実践法 -「みんなの日本語 初級」をもとに- 第2回 『まず、「引き出し」を作ろう、そして「手持ちのカード」を増やしていこう』

東京国際文化教育学院副主任 神部秀夫


まず、「引き出し」を作ろう、そして「手持ちのカード」を増やしていこう


■「既習」と「未習」の区別が厳密にできていますか?

いきなりですが、『みんなの日本語初級Ⅰ』に関する質問(クイズ)を。「昨日見た映画はおもしろかったですか」。『みんなの日本語初級Ⅰ』の学習者に、教師が授業中にこの質問ができるのは何課の授業からでしょうか。文型シラバスの教科書では、新しい学習項目(新出文型・文法や新出語彙)を教える場合、既習の文型・文法、既習の語彙を使って教えるのが基本となっています。例えば4課を教える場合、5課以降に提出される文型・文法、語彙などを使って導入や練習をするということは、学習者にとっては新しい学習項目を新しい語(未習語)で学ぶことになりますから、負担は大きいですし、理解の妨げとなる場合も多々あります。ですから、新出文型・語彙(未習文型、未習語)を教えるときは、既習の文法、語彙をうまく利用することがカギとなります。先の文「昨日見た映画はおもしろかったですか」を使っていいかどうかは、この文の中の文型・文法や語彙を分析して、『みんなの日本語初級Ⅰ』の中の何課に提出されているかを正しく把握しておかなければなりません。「おもしろい」のいわゆる過去形の「おもしろかったです」が出てくるのは12課です。では12課から「昨日見た映画はおもしろかったですか」という質問文を学習者に発してよいのでしょうか。そうではありません。この文は二つの文からできています。①「昨日映画を見ました」②「その映画はおもしろかったですか」、つまり「見ました+映画=見た映画」、動詞を使った連体修飾が使われているのです。この文型が出てくるのは『みんなの日本語初級Ⅰ』では何課でしょうか。教師はそれを把握していなければなりません。もしぱっと浮かばないのなら、「既習」と「未習」との区別がついていない、すなわち、教科書全体の構成が頭に入っていないということを意味します。


■未習語・未習文型を使って学習者を混乱させてはいけません

さて、「見ました+映画=見た映画」という文型は何課で出てくるのでしょうか。答えは22課です。『みんなの日本語初級Ⅰ』の後半、終わり近くです。つまり22課を教えるまでは「昨日見た映画はおもしろかったですか」とか「それは恋人にもらったネクタイですか」などの動詞の連体修飾を使った文型は学習者とのやりとりで使ってはいけないということです。


教える際には、学生には未習文型・未習語を使ってはいけないというのが基本ですが、まだ教え始めたばかりの教師はこれが守れないことが少なくありません。4課では、「勉強します」「働きます」などの動詞が出てきますが、そのときに、「あなたのお父さんは会社で働いていますか」などと「働きます」ではなく、うっかり「働いています」という形を使ってしまいます。まだ経験が浅かったり、その課を教えることだけにとらわれていたりすると、未習文型を使って学習者を混乱させたりしてしまいます。学習者は、日本語を学んでいる外国人です。「働きます」と「働いています」、この二つの形の意味の違いは熱心な学習者ほど気が付きますし、気になるのではないでしょうか。それは学習の妨げといえます。そして概ねそういう場合は、教師自身が未習文型や未習語を使ってしまっていることに無自覚です。それは日本語教師にとってあってはいけないことです。今目の前にいる学習者にとっての「既習語」と「未習語」、「既習文型」と「未習文型」との区別をきちんと把握しておかなければなりません。


■教科書の全体像を把握するために、課ごとの「引き出し」を作ろう

未習語、未習文型を無自覚に使ってしまう原因は一言で言えば教科書の全体像を把握していないからです。ではそうした誤りを防ぐにはどうしたらよいでしょうか。それは「文型・語彙がひと目で分かるリスト」を作ることです。この「文型・語彙リスト」は、例えてみれば「引き出し」のようなものです。1課から25課までの課ごとの一つずつの文型・語彙リストを「引き出し」として作り、教科書全体が見渡せるものをひと続きで完成させるのです。いつでも好きなときにぱっと取り出せるようにしておくことが必要だという意味でも引き出しと例えてみました。     


■自分で作ること、そして作っていくプロセスに価値がある

例は上の通りです。皆さんは課ごとにその課の新出語などをリストアップして教科書に書き込んだり、下線を引いたり、ポストイットで貼り付けたりするなど、工夫していらっしゃると思いますが、教科書全体を見渡せる一覧リストを作成したことはあるでしょうか。ぜひこうしたリストを作っていただきたいのです。そして重要なのは自分で作ることです。他の人が作ったものをコピーしたりするのは意味がありません。なぜなら作っていく過程にこそ意味があるからです。実際に作っていけば分かりますが、自分がいかに教科書のことを知らなかったかに気がつきます。そして「発見」も多いです。「イ形容詞とナ形容詞の数はどちらが多いか」「動詞の【た形】と【ない形】と【辞書形】とでは提出される順番はどうなっているか」など、作業をする中で自然に把握できます。そして、このリストは一度作ってしまえば教科書が改訂されない限り、ずっとそのまま使えるものです。また、このリストを『みんなの日本語初級』で作ると、他の教科書を分析するときの視点にも大いに役に立ちます。パソコンを使えば作業そのものは難しくないはずです。ぜひ自分なりの「文型・語彙リスト」の作成をお勧めします。繰り返しますが、作業をしていく中での発見は多いです。それが自分だけの財産となります。


■「教科書に載っていない=未習語」ではありません

ここで先に「未習語を使ってはいけない」と述べたことについて誤解を招かないよう注意を促したいと思います。それは「教科書に載っていない言葉は未習語だから、絶対に学習者に提示してはいけない」と考えてしまうのは誤りであるということです。例えば、「メール」という言葉です。『みんなの日本語初級Ⅰ』では提出されません。『Ⅱ』でも同様です。では、『みんなの日本語初級Ⅰ、Ⅱ』を教えている間は、ずっと「メール」という言葉を学習者に使ってはいけないのでしょうか。そんなことはありません。「メール」という語は、現在世界のどこでも、そしてだれでも知っていて使っている言葉といってよいでしょう。理解の難しい言葉ではありません。というより現代の日常生活を表すのになくてはならない言葉といってよいでしょう。つまり「メール」という言葉は、教師がわざわざ教えるまでもなく、だれでも知っているという意味で「既習語」と考えたほうがいいのです。ですから「メール」という語を既習語として扱って授業の中で使うのは全く問題ありません。


例えば、7課では「送ります」という動詞が提出されます。「荷物を送ります/レポートを送ります」などの例文が提出されていますが、ここで学習者が自分の日常生活に即して「友達にメールを送ります」という文を思いつくのは全く自然なことです。「送ります」という動詞の意味がよく分かっている良い例文です。ところが、「教科書に載っていない言葉は未習語だから授業中は決して使ってはいけない」と認識していると、学習者に「メールという言葉は使わないでください」などと言ってしまうことになります。すでにご理解くださったと思いますが、大事なことは今の目の前の状況や時代の変化に即して柔軟な対応をすることです。今年の7月に『みんなの日本語初級Ⅰ』の第2版が発行されますが、そこでは「メール」が第7課の新出語として新たに加わっています。これは実際に教える現場で「メールを送る」という例文が多く使われたことを反映してのことでしょう。


ある言葉が学習者にとって「未習語」かどうか、たとえ教科書に載っていなくても、提出してもよいか、その判断も現場の教師には求められます。これも「教科書【を】ではなく、教科書【で】教える」ことの一つです。


先に触れたとおり『みんなの日本語初級Ⅰ』は今年の7月に第2版が発行される予定です。文型・文法の提出順に変更はないようですが、語彙については新たに加わった語や削除された語、また『Ⅰ』の中で提出される課が前後に移動した語もあるようです。ですから、これを機に「文型・語彙リスト」の作成を試みてはいかがでしょうか。7月まで待つ必要はありません。まず、現行の本冊を基に作って、7月になったら訂正すればよいのです。二度手間になるような煩わしさはありません。むしろ、現行版と第2版とを比べてみて、なぜこの語が加わったのか、あるいはなぜ削除されたのかなどを考えることは教師にとって有益なことです。


■引き出しを利用して自分のカードを揃えていこう

さあ、「引き出し」は作りました。せっかく作ったのですから、それを有効に活用していきましょう。例えば前回述べた「生活背景に合った例文を」ということを実践するために、このリストを利用します。17課の「~なければなりません」という新出文型の教案を考えてみましょう。本冊には17課で新たに提出される動詞を使って「残業しなければなりません」「お金を払わなければなりません」と例文が載っています。もちろんこれも使って練習するのですが、自分で作った「文型・語彙リスト」を見ながら、17課以前の既習の動詞の中から「~なければなりません」の文型に使えるものを探していきましょう。つまり新出文型の「~なければなりません」にうまく合う既習の動詞を見つけて学習者にぴったりの例文を考えていくのです。「起きる(4課)」「作る(15課)」「乗る(16課)」などは、学習者の生活の様子を表現するのに使えそうです。


教師:「朝、何時に起きますか」

 A:「6時です。7時までに電車に乗らなければなりません。」

 B:「私は5時半です。家族のお弁当を作らなければなりません。」

 C:「私は遅いです。でも、8時までに起きなければなりません。」


朝の様子を話題にして「~なければなりません」を使う例文を考えてみました。これは例の一つです。他にも17課以前の既習の動詞で「~なければなりません」とうまく組み合わせることで、学習者の生活を生き生きと表現する例文が作れると思います。ぜひ皆さんもリストを活用して自分なりの案を作ってください。それが自分自身のいわば「手持ちのカード」になります。カードゲームをするときは自分が持っているカードの種類や手数が多いほど有利です。教えるときも同じです。「~なければなりません」を教えるとき、「こうすればうまくいく」という形を教科書以外にも自分で作っていくのです。それが教師の腕の見せ所です。何回か経験を積むと、それが自分なりの十八番ともいえるようになります。そのためには、授業準備として「文型・語彙リスト」をよく見て、既習語の中から、その課で使える言葉を的確に選んで例文を準備することです。教科書に載っている例文は無論良い例文ですが、それを教えるだけで満足していてはいけません。教科書を基に自分なりの「手持ちのカード」を少しでも増やしていくことが教える力の向上につながります。


今回は「未習」「既習」の区別を明確にするためには、「文型・語彙リスト」を自分で作成することが一番であること、そしてそれを活用して自分なりの例文を用意することが授業の充実につながることを述べました。参考になれば幸いです。


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