特別連載 日本語教科書活用講座24 / 『みんなの日本語初級』を使った日本語の教え方 条件によって使い方を変え、教え方の幅を広げる-時間が限られた日本語研修を例に-
AZ Japanese Service代表 倉持素子
数年前より、日本で最もグローバル化が進んでいる企業の一つで、世界中から集まってくる社員に向けた日本語研修を担当しています。仕事では英語を使う環境にありながら、せっかく日本に住んでいるのだから日本語を勉強し、日本理解に役立てたいと考える人たちが対象です。日本語研修にあたり、会社側が授業料を負担するうえで提示した条件は次のようなものでした。
・初級は『みんなの日本語初級Ⅰ第2版』を使用
・授業は1回90分/週2回
・1学期は3カ月間。全24回で終了
・勉強の継続は可能だが、同じレベルは1回のみ学習可。
次学期は『みんなの日本語初級Ⅱ』のレベルに進級すること
(これは、会社として支払った費用に対する対価を求めるためです。
「やるからには必ず進級できるようにしっかりやること」という方針の表れです)
つまり『みんなの日本語』Ⅰ, Ⅱを、それぞれ36時間で終わらせるプログラムなのです。教科書1冊に対して24回の授業ですので、一日1課勉強してもまだ終わらないスケジュールです。また、1回90分すべてを『みんなの日本語』に費やせるわけではなく、簡単なテストやミニスピーチなども行うため、実際に使える時間はさらに少なくなります。ご存じのように『みんなの日本語初級』は、一冊を100時間から150時間かけて学ぶように作られている教科書です。その1/3の時間で何をどう進めたら学習者の役に立つのか…、悩むところから仕事が始まりました。
ことばの習得は、ある一定量のインプットがなければ使えるようになりません。特に文型積み上げ式のアプローチでは、まずは語彙、文法、そしてそれらを合わせた文の形を脳に記憶させ、体に染み込ませる必要があります。そしてその後、覚えたものをタイミングよくアウトプットする練習も欠かせません。私はこの企業研修でその両方を行うために、いわゆる日本語学校での授業とは全く異なる方法を取ることにしました。『みんなの日本語初級』は直接法の基本を丁寧に取り入れた教科書ですが、それと同時に12か国語に及ぶ語彙と文法の解説書を備えています。その解説書を最大限活用することにしたのです。
実際の授業の進め方をご説明しましょう。
1
授業への参加は予習を前提とします。新規文法事項及び新出語彙は文法解説書で各自自習してくるよう、毎回声をかけます。
2
授業冒頭で予習時にわからなかったこと、疑問に思ったことがあれば、質問するよう促します。質問がなければ特に解説はしません。
3
学習する課の「文型、例文」を音読します。単調にならないように、リピート、シャドーイング、コーラス、単独指名など毎回変化をつけるようにします。
→実際は、この時点で語彙や文法に関する質問が出ることがあります。文法書を読んだ時はわかった気になったけれど、声に出して言ってみたら、わからないことがあったと気づくのでしょう。脱線しないよう、聞かれたことだけに答えるようにします。
4
「例文」を音読します。「例文」は会話形式になっているので、基本的にペアで読ませていきます。その際、余裕があるようなら自分たちの実際の状況に置き換えて話してもよいことを伝えます。
→シンプルに思える音読ですが、実は受講生のやる気と工夫次第で非常に盛り上がる活動になる場合も珍しくありません。あるペアがオジリナルの問答で笑いあっているのを見て、他のペアもそれに倣う場合が見られます。
5
時間の余裕を見ながら練習BまたはCを適宜行います。
6
「会話」部分の音源を聞き、音読します。ペアで読む練習をさせ、最後にペアになって発表します。
→立って、できれば教室の前に出て発表させます。立つだけでもだいぶ気持ちが引き締まり、うまくできると達成感を感じるようです。
いかがでしょうか。オーディオリンガルの基本となる音読を土台にして、そこに少しコミュニカティブな要素を加えた形です。導入のための道具や工夫も不要です。『みんなの日本語』36時間コースを実現させるために枝葉を削れるだけ削り、思い切って花も落として残った幹がこの形でした。
もちろん36時間で実質的な時間が足りるわけもなく、扱える語彙などはごく限定されたものになってしまいます。また、使いこなしのための練習も、授業後に自主的に行うよう、継続して励ましていく必要があるのも事実です。
しかし、費用が発生し、そこに相手の要請がある以上、お互いが納得する着地点を模索しながら進めていくことは、どんな仕事に就いていても大切な考え方であり、スキルだと言えるでしょう。
使い慣れた教材でも、相手によって、条件によって、使い方のバリエーションが広がります。どんなに条件が限られていても、その中でアイディアをひねり出すことで、また一歩教え手としての器が大きくなるかもしれません。